辛かった経験をさもいいことだったかのように昇華したいのでまとめる

去年から最近までで感じたことを箇条書きとかでまとめています。ほぼ呪詛なのであまり読まないでください。

 

・感謝は一種の教養で感情とはまた別物

私は親と価値観があんまり合わないので本当に好きじゃないんだけど、でも今回で心がボロカスになっていろいろ助けてもらった(なんか追い詰められたところもあった気がするけどそれはそれとして)ので、感謝が自動的に湧き上がってくるようになった。好きじゃないけど感謝はしてるっていうなんか相反しそうな感覚がちゃんと同時に成立するんだなと思った。

逆に言うといままでって手動で感謝を沸き上げてたんだなと感じた。だから辛かったんだな。自動で湧き上がるようになるまで自分のこと責めたり無理したりせんでいいわ。ほんとに。じどうにわきあがるまで待ってよ。世の中も。

 

・前の職場がなんで地雷だったか気づいた

小さい頃、私がかなり親に迷惑かけたり生意気なこと言ったりやべ〜子どもだったのと、家にわんぱく盛りの子どもが私含め 3人いて、親もてんやわんやで余裕がなかったという状況だった。親はだいたいの時間はピリピリイライラしてて、してなかったとしても私が変なことするので常に怒っていなければならなかったこともあり、当時の私は、家庭における私の存在価値が無かマイナスに等しいことをなんとなく感じていたかもしれない。その上真ん中っ子って1番物理的に手をかけられないとも言われてるので、実際いてもいなくてもそんな変わらなかったかもしれん。

そういう状況の中で生きるのは普通に嫌で、私は根がメンヘラなので、両親は私が生きてて嫌な思いしてるし、私もそれで嫌な思いするし、全然生きてないほうが良くね?と思っていました。たぶん「私のせいで人間関係が険悪な環境」と「役に立たない自分」が地雷だった。

前の職場が完全にこの自分になってしまってた。私がいることで生まれる様々なミス、社長がそれに対してキレることで周りが萎縮したり空気が悪くなったりする職場、この場に私いねーほうがみんな幸せじゃんとなる感じがガチで無理でした。

(この場合ガチで無理でした。とか言ってる張本人が全ての元凶なので本当に最悪)

だからちょっとだけ死のうとしちゃったんだけど、けっきょく死ななかった。結果的によかったわ。

 

・死のうとするときはだいたい視野が狭い

新たな価値観を自分にインプットしつづけることと筋が通らないことはほぼ同義になってしまうんじゃないか、とおもってるので、筋通したい心を持つ人間としては「吹っ切れる」とか「ひらきなおる」とかすごい嫌悪してしまう。

しかし死にたい時って大体自分の信念を信じすぎてこだわりすぎてる(自分の中にある固定の価値観に囚われすぎている)ということなんじゃないかと思うので、意識していつもはそんなにやらないこととか感覚を自分にインプットしたほうがいいのかもしれないなと思った。

私は体を全然動かさないので、ちょっと散歩してくるとか、最近やってなかったゲームをするとか、そうすると忘れてた他の価値観とかを思い出せる気がする。モヤモヤしたら気晴らしに別のことやるって言うのは理にかなってるのかもなと今更感じた。

 

・一億総加害者社会だわ

学生じゃなくなってから、じぶんが社会の加害性の一部を担っている感覚をすごい持つようになった。学生までの間も確実に自分の加害性を発揮しながら生きてたはずなんだけど、それになんとなく気付かずに生きることができていた。

働き始めてから強く思うようになったのは前の職場で死ぬほど周りに迷惑をかけたからだと思うんだけども。迷惑をかけないで生きるのは本当に無理という感覚を実感したからかもしれない。おれは誰かを傷つけて死にたい思いをさせながら生きていくしかない。それを自己満足で償うために好きな人間たちを幸せにしようと頑張って生きることでギリギリ自分を許せている。許せない時もある。

 

・昭和に生まれてなくてよかった

私の職場はかなり昔気質な感じの職場だったんだけど、みんな自分の仕事に手を焼いてて余裕がないし、その上デスクワークというものが軽んじられているので放置されてる仕事がたくさんあったし、正社員なんだから社長に言われたら問答無用でやれって別分野の仕事を無理にやらされてる人もいたし、そういう余裕のない感じなので、仕事ができない人に対してみんな手を差し伸べるんじゃなくてひたすら愚痴をいうっていうのがお決まりになっていた。

仕事のやり方に関する多様性を受け入れる余裕もないので、口頭での説明じゃ覚えにくい人にはメモしてみたら?ってアドバイスするとか、メモで残してあげてみるとか、そういうのもない。口頭の説明でなんでできるようにならないの?正社員なんだからできるようになりなさい。できないなら辞めなさい。という感じ。下手したら説明すらない。みんなの動きを見て察して動けって感じだった。

これが昔の職場で横行してたんだととても感じた。むしろ今でもこういう世界は確実にあって、別に遠い過去じゃないし、身近な一つの社会なんだと感じた。

たぶんモーレツ社員とかやゆされてた時代はみんなほんとにほんとに余裕がないし、だからストレスでセクハラするしパワハラするし、それに耐えきれなかった人は辞めたり死んだりする。そういう社会が確かにあったんだと本当に思った。多分私が昭和〜平成初期に社会人になってたらすぐ死んでた。前の職場辞めた時も次務める会社もこんなんだったら本当に死んでやると思ってたし。

親はばりばりやな社会を生きた人なので、私が前の職場勤めてた時も周りがそうなのはしょうがねえ‼️‼️どこもそんなもん‼️‼️お前が頑張るしかねえんだよ‼️‼️って言われたし、昭和を生きた人からすると軟弱者なのか私は うるせ〜!今令和だぞ 昭和基準で答えるな 死なせていただきますからねこちらは はあ……