整理
この世って本当にどうしようもないことってあるじゃないですか。例えばアニメ「遊戯王デュエルモンスターズ」の最終話で闇遊戯と表遊戯が離別することに関して、事実なのでもう受け入れるしか私には選択肢がないんですが、それはそうとして受け入れられねえ‼️‼️‼️ってこともあるじゃないですか。
これはいかに私が以上のことを受け入れられないかをかろうじて日本語にしただけのメモ。
あとこれを描いてる人間は腐女子なので、2人の友情を信じていますがおそらく不快な文面しか書いていません。すみません。
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遊戯王デュエルモンスターズの闇遊戯と表遊戯のタガが外れた友情に当てられたきっかけは、52話の「俺は永遠にお前とともにいたい。記憶なんて戻らなくても構わない」「僕も、僕もずっと…!僕の、僕の記憶を全部あげるから…」のセリフでした。これを聞いた瞬間、なんだこいつらは⁉️⁉️って気がおかしくなりました。そして今日まで気をおかしくしています。
この言葉、シンプルに「自分を犠牲にしようとも今後一生をともに生きる誓い」すぎて本当に驚きました。友情がデカすぎる。一応確認なんですけどそれって友情なんですよね…?ってこちら側が慎重に確認しないといけない気がしてくる。この一瞬だけその気持ちとか言葉の火力が強かっただけだとしても、強すぎる。地球が燃えちまうでしょうが。
では、まじで遊戯たちが離別するの納得いかねえよという気持ちに対するなぜ?を自分が自分で理解するために、この激強パンチラインを分解しながら自分の見解を述べます。
前提としてこの会話は、遊戯たち2人(2人と言っていいのか定かじゃないが)が、闇遊戯の存在の謎や今後のことについてふれようとしたときに、不安に駆られた表遊戯が会話の蓋を閉じようとした際、闇遊戯から切り出したものです。表遊戯の部屋で月明かりだけが照らす中、2人しか聞いていない会話なので、闇遊戯も表遊戯も互いに自分たちの立場やしがらみを一旦忘れて純粋な願いを吐露していると想像できます。
つまりその上で闇遊戯は「俺は永遠にお前とともにいたい」「記憶なんて戻らなくても構わない」と言っていることになり、さすが激強パンチラインは伊達じゃねえなということになるのですが、いや本当に伊達じゃねえな。なんなんだよ。
というのも、闇遊戯はもともと王様だったことに起因して、おそらく自我滅却の人生を歩まざるを得なかった人だと思うんですよね。生まれながらに王となることが決まっていて、役割と死に様を定められている人生の中で考えることは基本国の利益や政の采配であり、立場的に口に出した言葉は全て命令になってしまうので、間違えても利己的な想いを口にすることはできず、最悪そのようなことを考えることすら出来なかったかもしれません。
その闇遊戯がまがりなりにも現世で肉体を得て、記憶がなかったり仮初だったり、戦いの運命から逃げられなかったりするとはいえ、年相応な身の上を武藤遊戯という存在のおかげで経験することができた、という時点で既に胸熱です。そんな闇遊戯が、記憶がないが故に少年らしくある意味無責任に「俺は、」って願いを口にできた、それを聞いてくれる友達ができたということそれ事態の重さ、デカさ、それに思いを馳せざるを得ません。しかもそれが物語上絶対に叶わない願いだった時、お前らはどう思いますか?なんでやねん‼️‼️‼️叶えよ‼️‼️‼️と思いますよね。そういうことです。
しかし私にとって悲しいことに、52話〜53話以降、闇遊戯が自分の記憶を取り戻す覚悟を決めて以降、彼はもうこの願いを思い出すそぶりすらしてくれません。覚悟を決めてからが早すぎて流石に王の片鱗…と脳を焦がされます。もう少し何も知らない少年のままでいても許されたんじゃない…?というか許せよ‼️という老害心がとどまるところを知らない。暴れそう。
これは全部私の推測兼蛇足になりますが、闇遊戯は表遊戯から自分についての話・今後についての話を振られる前に、既に「自分は何者なのか」「これからどうしていきたいのか」という疑問と問いを自分に投げかけていたと考えています。そうでなければ52話で瞬時に表遊戯に「俺は永遠にお前とともにいたい」という言葉を返せたはずがありません。これの前に言った「いつかは聞かれると思っていた」という言葉は、『この疑問に関して、自分の中で答えを探している最中ではあるが、もしいつか聞かれた時は現時点での自分の気持ちをちゃんと伝えようとしていた』ということであり、闇遊戯にとっての正しさ、誠実さとは何かということが現れているシーンだなと感じます。
彼は一国の王だったとはいえ年齢的には少年なので、誠実さや正しさを貫こうとするところを見ると、めっちゃ少年だな…という気持ちになります。誠実すぎることや正しすぎることで人を傷つけうることをまだ知らない、永遠の少年像として完成されすぎているなと本当に思います。
そして、この闇遊戯の言葉に関する表遊戯の答え「僕の記憶を全部あげるから」に関してですが、正直、上記のめちゃくちゃ重いジャブを闇遊戯という自分の半身から急にくらったとは思えないほど完璧な献身アンサーだったと思わざるを得ません。これ以上表遊戯らしい回答って他にあるんか?と頭を抱えるくらい素晴らしいアンサーだと思います。
というのも表遊戯はこのシーンに限らず、自己犠牲、献身が光りまくるキャラクターだと考えております。そもそも自分の心に得体の知れない魂(闇遊戯)を住まわせることが可能な時点からも献身を彷彿とさせますし、原作1話でまだいじめっ子気質だった時の城之内くんに対して迷いなく友達だと宣言していたところからも、真っ直ぐすぎてむしろ怖いくらいのひたむきさを持っていることが伺えます。逆に言うとこれくらいの心持ちであったからこそ城之内くんや闇遊戯と仲良くなれたと個人的に考えています。表遊戯が愚かなくらい絶対的な光だったからこそ、城之内も闇遊戯も心を開いてくれたのだと思います。
それらを踏まえ、このシーンで表遊戯が闇遊戯に言った「僕の記憶をあげるから」を私の色眼鏡フィルター越しに要約すると、「これまでの自分の人生の記録をあなたのものにしてもいいから(これからの人生も一緒に生きてほしい)」です。
闇遊戯の激強パンチラインが可愛く思えてくるくらいの激重アンサーすぎて、本当にひれ伏すしかありません。自分の記憶をあげるということはそういうことだと思います。表遊戯は、言ってしまえば闇遊戯に生きている時間と体をたびたび乗っ取られている状態であると思うのですが、それを全面的に咎めず、許す上に、これまで自分が生きてきた証も闇遊戯のものにして良い、「武藤遊戯」が生きるはずだった人生のうち半分をあげても良いと述べているということになります。改めて文字にすると訳わかんねえよ。全224話のアニメなのに、まだ52話なのにこのセリフが出てくるの、本当に訳がわからない。仲が良すぎ。
しかしながら蛇足なんですが、このときの表遊戯は闇遊戯ほど、自身の願いをはっきりと口にしていません。「僕も、僕もずっと…!」と決定的な言及は避ける形で闇遊戯の気持ちに応えています。根拠ゼロの推測ですが、表遊戯は自分たちの願いが叶わないものであることを最初から察していたと考えられます。この52話の会話の発端から既に及び腰だったことや、会話の中で涙を流していたことも含め、自分の気持ちをはっきり口にできる強さを持つ闇遊戯と、それとは裏腹に叶わないと感じていることを口に出すことを拒む、恐れるという弱さを持っている表遊戯、という対比が読み取れて、切なさに拍車がかかっているなと痺れまくりの脳で感じたことを覚えています。
ただ、表遊戯はこの話以降わかりやすく心身ともに成長しており、バトルシティ編ぐらいにもなると、素人の見解ではありますが、精神面での強さは闇遊戯を凌ぐものになっていたと感じました。そこにはやはり52話時点で涙を流しながら自身の願いを伝えていた表遊戯の姿が既に遠くて、私としては寂しいし悲しいし、そんなに早く強くならなくていいんだよ…と老婆心が出てきてしまう。お前は誰なんだよ。表遊戯と闇遊戯が互いに優しさを交換していればそれで良かった時間が本当に短すぎて、覚悟が決まってから一言も弱音を吐かずに(ドーマ編の闇遊戯は信じられないくらい弱音を吐いていた気がしますが、あれはアニオリなので諸説あるとして)戦う2人が眩しすぎて、もはや痛々しすぎて、杞憂民ババアは涙を流すことしかできません。
なんでこんなに仲良しなのに離別しないとならんのでしょうか。それが定めだからだと思うのですが、もはやその定め自体にキレそうです。2人の覚悟を受け入れられない私がこの世の異物であることは重々承知なのですが、辛すぎて全然逆ギレしています。
だってこれに関しては私がキレるしかなくないですか?もう闇遊戯と表遊戯は52話?3話?の時点ですでに正しい選択をする必要性に迫られてしまって「ずっと一緒にいれたらいいのにな」みたいな可愛いわがままを口にすることすら許されないんですよ。実際言わずにお互いのために大義のために健気に頑張るんですよ、そしてそれが最後に実現してハッピーエンドなんよ、何がハッピーじゃい そんなことがあってたまりますか、本当に、私が気狂いブチギレ老害おばさんとなるしかなくないですか?もう。何を言っているのか自分でもわからない。とにかく辛い。もう2人にこれ以上過酷な運命を強いないでください。うるさ〜い‼️過酷かどうかは彼らが決めることなので引っ込んでてください‼️‼️心が二つある〜。逃げて〜。逃げたい。離別の運命から。お前は誰なんだ。本当に離別するのか?何が面白くて離別せにゃならんのか…お互いのためだよ…世界のためだよ…うるせえよ…本当に…私を納得させられる理由が224話までの流れでちゃんと出てくるのだろうか。出てきてくれ。出てきてくれないと本当に困る。これ描いてる今も泣きそう。辛い。
早く覚悟を決めたい。決めてはいる。ただ苦しい。なんでエンタメに対してこんなに苦しい気持ちを抱かないといけないんでしょうか?本当に納得できない。そういう次元にたどり着いてしまったことは自覚した。であればもうおかしくなるところまでおかしくなるしかない。
私は闇遊戯と表遊戯が本当に大好き。大好きなうちに覚悟を見届けなくてはならない。頭痛い。泣きそう。本当になんでこんなことに…?すごいコンテンツにハマってしまった。がんばります。頑張れる訳ないだろ。全部を憎みながら一歩一歩進むしかありません。やるぞ。
辛かった経験をさもいいことだったかのように昇華したいのでまとめる
去年から最近までで感じたことを箇条書きとかでまとめています。ほぼ呪詛なのであまり読まないでください。
・感謝は一種の教養で感情とはまた別物
私は親と価値観があんまり合わないので本当に好きじゃないんだけど、でも今回で心がボロカスになっていろいろ助けてもらった(なんか追い詰められたところもあった気がするけどそれはそれとして)ので、感謝が自動的に湧き上がってくるようになった。好きじゃないけど感謝はしてるっていうなんか相反しそうな感覚がちゃんと同時に成立するんだなと思った。
逆に言うといままでって手動で感謝を沸き上げてたんだなと感じた。だから辛かったんだな。自動で湧き上がるようになるまで自分のこと責めたり無理したりせんでいいわ。ほんとに。じどうにわきあがるまで待ってよ。世の中も。
・前の職場がなんで地雷だったか気づいた
小さい頃、私がかなり親に迷惑かけたり生意気なこと言ったりやべ〜子どもだったのと、家にわんぱく盛りの子どもが私含め 3人いて、親もてんやわんやで余裕がなかったという状況だった。親はだいたいの時間はピリピリイライラしてて、してなかったとしても私が変なことするので常に怒っていなければならなかったこともあり、当時の私は、家庭における私の存在価値が無かマイナスに等しいことをなんとなく感じていたかもしれない。その上真ん中っ子って1番物理的に手をかけられないとも言われてるので、実際いてもいなくてもそんな変わらなかったかもしれん。
そういう状況の中で生きるのは普通に嫌で、私は根がメンヘラなので、両親は私が生きてて嫌な思いしてるし、私もそれで嫌な思いするし、全然生きてないほうが良くね?と思っていました。たぶん「私のせいで人間関係が険悪な環境」と「役に立たない自分」が地雷だった。
前の職場が完全にこの自分になってしまってた。私がいることで生まれる様々なミス、社長がそれに対してキレることで周りが萎縮したり空気が悪くなったりする職場、この場に私いねーほうがみんな幸せじゃんとなる感じがガチで無理でした。
(この場合ガチで無理でした。とか言ってる張本人が全ての元凶なので本当に最悪)
だからちょっとだけ死のうとしちゃったんだけど、けっきょく死ななかった。結果的によかったわ。
・死のうとするときはだいたい視野が狭い
新たな価値観を自分にインプットしつづけることと筋が通らないことはほぼ同義になってしまうんじゃないか、とおもってるので、筋通したい心を持つ人間としては「吹っ切れる」とか「ひらきなおる」とかすごい嫌悪してしまう。
しかし死にたい時って大体自分の信念を信じすぎてこだわりすぎてる(自分の中にある固定の価値観に囚われすぎている)ということなんじゃないかと思うので、意識していつもはそんなにやらないこととか感覚を自分にインプットしたほうがいいのかもしれないなと思った。
私は体を全然動かさないので、ちょっと散歩してくるとか、最近やってなかったゲームをするとか、そうすると忘れてた他の価値観とかを思い出せる気がする。モヤモヤしたら気晴らしに別のことやるって言うのは理にかなってるのかもなと今更感じた。
・一億総加害者社会だわ
学生じゃなくなってから、じぶんが社会の加害性の一部を担っている感覚をすごい持つようになった。学生までの間も確実に自分の加害性を発揮しながら生きてたはずなんだけど、それになんとなく気付かずに生きることができていた。
働き始めてから強く思うようになったのは前の職場で死ぬほど周りに迷惑をかけたからだと思うんだけども。迷惑をかけないで生きるのは本当に無理という感覚を実感したからかもしれない。おれは誰かを傷つけて死にたい思いをさせながら生きていくしかない。それを自己満足で償うために好きな人間たちを幸せにしようと頑張って生きることでギリギリ自分を許せている。許せない時もある。
・昭和に生まれてなくてよかった
私の職場はかなり昔気質な感じの職場だったんだけど、みんな自分の仕事に手を焼いてて余裕がないし、その上デスクワークというものが軽んじられているので放置されてる仕事がたくさんあったし、正社員なんだから社長に言われたら問答無用でやれって別分野の仕事を無理にやらされてる人もいたし、そういう余裕のない感じなので、仕事ができない人に対してみんな手を差し伸べるんじゃなくてひたすら愚痴をいうっていうのがお決まりになっていた。
仕事のやり方に関する多様性を受け入れる余裕もないので、口頭での説明じゃ覚えにくい人にはメモしてみたら?ってアドバイスするとか、メモで残してあげてみるとか、そういうのもない。口頭の説明でなんでできるようにならないの?正社員なんだからできるようになりなさい。できないなら辞めなさい。という感じ。下手したら説明すらない。みんなの動きを見て察して動けって感じだった。
これが昔の職場で横行してたんだととても感じた。むしろ今でもこういう世界は確実にあって、別に遠い過去じゃないし、身近な一つの社会なんだと感じた。
たぶんモーレツ社員とかやゆされてた時代はみんなほんとにほんとに余裕がないし、だからストレスでセクハラするしパワハラするし、それに耐えきれなかった人は辞めたり死んだりする。そういう社会が確かにあったんだと本当に思った。多分私が昭和〜平成初期に社会人になってたらすぐ死んでた。前の職場辞めた時も次務める会社もこんなんだったら本当に死んでやると思ってたし。
親はばりばりやな社会を生きた人なので、私が前の職場勤めてた時も周りがそうなのはしょうがねえ‼️‼️どこもそんなもん‼️‼️お前が頑張るしかねえんだよ‼️‼️って言われたし、昭和を生きた人からすると軟弱者なのか私は うるせ〜!今令和だぞ 昭和基準で答えるな 死なせていただきますからねこちらは はあ……
最近(2024/2/22)
・抗うつ剤もらった
もうほんとに無理だな…って右手が勝手に病院を予約してくれたので診断を受けたら、案外あっさりと「鬱ですね。薬出しますね」と言ってもらえた。薬を飲むと、効能がどうとかは何にもわからないけど、薬飲んだから大丈夫かもしれないという気持ちになって少し落ち着いた。何もしないよりはマシだと思って薬をもらいに行ったけど、結果的に今落ち着いてきたので行って良かったーとなった。
でも、本当に死にたさがピークの時は病院行こ!という元気な気持ちは湧かないので、この仕組みって限界ある。あと普通に会社を辞めた時の方が鬱がなくなったので、薬はあくまで根本解消じゃなくて延命治療的役割でしかないんだなと思った。
・仕事辞めた
仕事辞めた〜〜〜〜〜〜ッッッッ!!!!!
仕事を辞める日が近づくにつれて気持ちの楽になり方が尋常じゃなかった。全ての行動は会社を辞めるという行動に収束するんだと思うと何しても楽しかった。やっぱり職場がもう無理だから私は辞めたいんだなとかなり確信を強く持って颯爽退社できた。
この一年未満を振り返ってみると、会社辞める辞めないということに関してしっかり悩んでた時、私の就活って完全に失敗したなとか、もう今後やりたい仕事に勤められるかどうかも怪しいなとか、運良く会社に勤められたとして正直もう仕事はできないのでは…って絶望したりとか、色々大変だったなと感じた。
会社勤めて 1年も経ってないのに辞めることがかなり不安要素で病んでたのもあるし、1年前の自分がもっと就活をちゃんとやってればこうはならなかったのではと病んでたのもある。
死にそうだった。でも辞められて良かった。
・新しく会社に勤めた
結果的に、ノリで応募した(ノリで応募するな)印刷会社さんに拾っていただき、編集スタッフとして勤めることになった。
端的に言うとかなり良くしていただいている。上司が優しい。社長も課長も優しい。別部署の方も優しい。すごいいい人たち。勤められたのは本当に運が良かったかもしれない。
やっぱり環境が変わると心もちゃんと変化していけるもので、無事に仕事も今のところやらせていただけている。なんなら褒めていただいている。ありがたいことにそれくらい周りの人に恵まれた。
本当になんとかなって良かった。これからは、この一年未満で死んだ心とか死んだやる気とか潰れた信念とかをゆっくり戻していかなくてはならない。幸い周りの人々に恵まれたので、私さえ頑張ればなんとかなると思う。
がんばります。
最近(2024/1/1)
・最近
最近こんな感じで振り返りの文章とか書いてなかったなと思い出した。もう少し毎日の日記みたいな感じでフランクに文字に残していきたい。
最近嬉しいことも嫌なことも全部怖くて不安になってしまうので、もう少しリラックスできるようになりたい。もっと図太く生きようね。
・退職する
今月末で今の職場を退職することになった。色々思うところはあるけど1番収まりのいい終わり方を選べた気がする。いろんな人に心配かけたり、お世話になったりしたなとすごいぼんやり思っている。これからいろんな人に挨拶回りをしないといけない。変に各部署の人と店舗の人と取引先とちょいちょい関わりがあったので、挨拶回りで1ヶ月なくなるのでは?と怖くなっている、てえへんだ…。引き継げる人が実質いないというわけのわからない事実にキレ倒している。許さない弊社
この前、打ち合わせできてくれた社員さんに「今月末に辞めることになりました」って言ったら、「つらかったね」と労いの言葉をかけてもらった。この人の前で社長にバチボコに嫌なこと言われたことが以前あったので、それ以来心配かけてたんだろうなってなんとなく思った。
辞めることに関して、こんなことで辞めるなんて己の忍耐力のなさが恥ずかしいなと思ってたけど、自分の感覚が変ではないことを知れて少し報われた気持ちになった。
ありがたいことに、退職届出した後にどうせ落ちるから〜ってノリで応募した2社に書類選考が通ったので、これから面接の準備もしないといけない。緊張する。何話せばいいかわからん。頑張りがから回らないような頑張り方をしたい。
・集まり行かなかった
今年は元気に祖母と話せる気がしなかったので、毎年恒例だったのに祖母宅にお邪魔するのを遠慮させてもらった。祖母をやな気持ちにさせたかも?申し訳ないけど、姉と妹は祖母宅に向かったので寂しい気持ちにはさせなかったかなと思っている。こういうときだけではないけど、こういうとき特に姉や妹がいるのってありがたいと思う。私しか娘がいなかったら断りきれなかったかも知れない。家庭の中で、姉と妹だけが私の味方でいてくれる時もある。助かっている。
・年始の予定
私の趣味は絵を描くことと美味しいものを食べることなんだけど、なんか今絵を描く元気がないのと、年末年始は好きな飲食店さん(ほぼ個人経営店)がだいたい開いてないのとで、何も手につかなくてこのままじゃまずいと思っている。そんなことなんだったらひとまずやることやりな?ではあるんだけど、せっかくのお休みだからやりたいことやりたいじゃん‼️なあ‼️
この気持ちを成仏させてからじゃないと何も手につかない。とりあえずニトリで椅子と本棚買おうと思う。話はそれからだが?なあ 勘違いするなよ
最近(2023/11/6)
・友達に会いに行った
週末の休みを利用して友達のお家に遊びに行った。友達は私が住んでるところから高速バスで2時間くらいのところに住んでるので、実質プチ旅行だった。
なんか最近心がダメで、以前この友達が「いつでも遊びに来てええで」と言ってくれたのもあり、訪問させてもらったのだが、友達がほとんど行き先とか道とかお土産から食事までフォローしてくれたおかげで、本当に楽しむことができた。めちゃくちゃ感謝している。
ただしこの時の私まじで何にも優しさに報いることができなかった。信じられないくらい友達任せで何にもしなかった。終わりすぎる。痛覚が死んでいるのか。これ以上この優しさに甘えてはいけないと思った。同じ質量の優しさを返せるように頑張らないといけない。
・退職願書くか〜となっている
心が終わりすぎなので、とりあえず会社辞めようと思っている。正直私の家族は「仕事辞めたくても辞められなかった/それでもなんとかしてきた人」が多いので、こんなカスな理由で仕事辞めるの全く理解してもらえないだろうな〜と思うとかなり憂鬱だし、今会社辞めたら今後の社会復帰むずそうだな〜とか、今の会社じゃないとむしろ働けないんじゃないかとか色々思うところはあるけど、そんな理由で会社に留まってお金もらい続けていいわけはないので、辞めるか……となっている。
会社ルールで3ヶ月前に辞めたいで〜す!って言わなきゃ(なんでやねん)なので、辞める気持ち伝えた後3ヶ月間会社いるのこわいな〜 と思っている。
しかしそんなんはどうでもいい(どうでもよくはない)くらいにもう心が終わりなので、ちゃんと辞めないとなと思っている。まずは退職届を書く運動から…
・遊戯王のクリスマスケーキ予約しました!!!!、!!!!!!!!説明不要!!!!!!!!!
最近(2023/10/18)
・妹のお家に突撃してきた
妹がたまたまお友達と出かけたらしく、その通り道に寄ったスコーン屋さんのスコーンを「食べる?」と聞いてくれた。ちょうど休日だったので、妹の家に行ってご馳走になった。手土産代わりに、道すがら適当に購入したKALDIの杏仁豆腐をあげた。めっちゃ喜んでいた。
その後、最近どう?という話をした。私会社でやっていけね〜かもしれね〜って話をしたら、妹も私ももうやってけね〜かもしれね〜と言ってて、なんなら以前姉ももう辞めてえ〜と言ってたので、我が家三姉妹総無職になる日も近いか〜?と大笑いした。なにわろてんねん
妹の家に寄って1番びっくりしたんだけど、妹がしれっと喫煙者になっていた。電子タバコのあんまり肺に負担かからないやつだけど。あと、とあるバンドにライブ行き詰めるほどどハマりしていた。なんか相当ストレスで参ってるんだな〜と思った。ひとしきりそういう話した後に妹が、社会にうつ病になったことない奴なんていねーよと溢したのが印象的だった。私はそれに対して私もそう思うと言った。大変なことがあるのは仕方のないことかもしれないが、その分いろいろうまく行ってほしい。どうか。とりあえず妹は東海オンエアのファンだったので、なおのことかなり心配である。
・日記に書くこと全然ないわ
最近、遊戯王のアニメを少しだけ見進めることができた。最終回まで見きっちゃうのが嫌すぎて停滞していた(小学生か?)んだけど、やっと2〜3話見れた。
遊戯王のアニメは手とか腕とか脚の作画が常に綺麗で本当に惚れ惚れする。展開がアホで頭からっぽにして見られる。公式が二次創作を兼ねてるレベルの展開を網羅してくれる。好きだ。この人達の中でデュエルって一体なんなんだよと思いながら見ている。デュエルモンスターズのカード3枚で世界を統べることができるって本当になんなんだよと思いながら見ている。そもそも闇遊戯の肩から絶対に落ちないあの上着は一体どうなってるんだよ あの変な髪は毎朝セットしてんのかな おもしれ〜作品…。
最近(2023/09/26)
・前科
私は小さい頃忘れ物が激しい子供だったので、忘れ物激しい人間あるある「ランドセルを忘れる」「スマートフォンをトイレに置き忘れる」「定期券と財布を同時に忘れて学校に行けない」「体育のジャージちゃんと持ってきたのにバスの中に忘れてくる」というさまざまな場数を踏んできた。
姉も妹もこんなことしてこなかったし、母もこういうことしない。逆に父はたまにスマホや財布を忘れる人だった。でも私の忘れ物の仕方は常軌を逸していたので、流石に家族を不安させてしまい、社会人になった今でも出かける時に「スマホと財布持った?」と聞かれる。
ありがたいんだけど、めちゃくちゃ己の「前科」を感じて苦しくなる。今はスケジュール管理アプリとか使ったり、物を同じところにしまう習慣をちゃんとつけて無くし物も忘れ物もかなりへったけど、一生忘れ物めちゃくちゃする人間の前科を背負っていかなくてはならない。信用とかない。ああ…。
・ぬいをつくりたい
推しのぬいを作りたいという欲望を抱えて生きている。推しの姿を模したグッズ、今まではそこまでほしいと思ったことがなかったんだけど、最近推しの造形の良さに狂い出してからはアクスタ類が欲しすぎて叫び出しそうになっている。
そしてこの前、「自分でぬいが作れるよ!」って謳い文句してる手芸グッズが販売されてることを友達に教えてもらった。ぬいを作って人間辞めるか、ぬいを作らないで人間の外側を保つか迷っている。ぬい、作ってしまったらやばい気がしている。もう戻れない気がする。こわい。
もともと狂っているジャンルである刀剣乱舞もぬいが公式で販売されてるんだけど、それらは本当にそこまで欲しいと思ったことなくて、同じ推しなのにこうも違うんだな〜と不思議に思っている。私の場合は、刀の推しの姿をしたぬいをそばにおいても、あんまりそばにいる気持ちになれない。ゲーム画面開いた方が数倍そばにいる気持ちになる。そういうことかもしれない。どういうことだよ。
・オタクの自分語り
ポケモン剣盾で、ポプラおばあちゃんが「トレーナーは自分のために戦うべきだよ」みたいなこと言ってたよなとたまに思い出すんだけど、最近、全部このマインドじゃないと人間って生きてちゃいけないかもしれねえと思っている。クソデカ主語でごめん。
人間は他人のために生きられる生き物かもしれないけど、それは他人に依存して生きるということだと思うから、相手にも自分を必要としてもらわないと成り立たないと思う。それってかなり極端に言うと必要とされないと生きていけないってことなので、絶対どこかで心のバランスが崩れる時が来ると思う。だから誰かに許されないと生きていけない気がしてくるのかもしれない。ちゃんと自分の幸せのために生きられる人が最強かもしれない。誰かのために何かのために身を尽くして生きようという教訓はもう古いのかもしれない。だから最近自分を愛そうが流行っているのだろうか。何もわかんないよな。
私がちっさい頃から家族が入信してる宗教の教えでは、相手に尽くすとも見返りを求めないっていう精神が尊ばれたりしていたんだけど、これは、誰もが自分のことしか考えられないほど余裕がない世の中で説かれたから成立した美徳かもとおもった。今はそこまで自分の命しか守れねえ!みたいな時代ではないしね。自分を守りながら、自分以外も守れるような環境の基盤ができつつある今の世の中ってすげーなと思った。
でもそれはそうとして、正直、このためなら自分がどうなってもかまわねえ〜って対象は欲しくね?とも思う。自分の命を投げ捨ててでも守りたいと思えるもの、心酔できる対象が欲しすぎる。どういう心理なのかは分からんが、何らかのものをどこまでも信用して完全平伏したいという気持ちがある。今の私の場合は多分「推し」がそれに該当している。将来、万が一自分が家族を持ったときは、配偶者とか子どもがこれに該当することもあるのかもしれない。そんな存在がこの人生で現れるのだろうか。もう現れてるかもしれないが。自覚してないだけかもしれないが。