最近(2023/09/26)

・前科

私は小さい頃忘れ物が激しい子供だったので、忘れ物激しい人間あるある「ランドセルを忘れる」「スマートフォンをトイレに置き忘れる」「定期券と財布を同時に忘れて学校に行けない」「体育のジャージちゃんと持ってきたのにバスの中に忘れてくる」というさまざまな場数を踏んできた。

 

姉も妹もこんなことしてこなかったし、母もこういうことしない。逆に父はたまにスマホや財布を忘れる人だった。でも私の忘れ物の仕方は常軌を逸していたので、流石に家族を不安させてしまい、社会人になった今でも出かける時に「スマホと財布持った?」と聞かれる。

 

ありがたいんだけど、めちゃくちゃ己の「前科」を感じて苦しくなる。今はスケジュール管理アプリとか使ったり、物を同じところにしまう習慣をちゃんとつけて無くし物も忘れ物もかなりへったけど、一生忘れ物めちゃくちゃする人間の前科を背負っていかなくてはならない。信用とかない。ああ…。

 

 

・ぬいをつくりたい

推しのぬいを作りたいという欲望を抱えて生きている。推しの姿を模したグッズ、今まではそこまでほしいと思ったことがなかったんだけど、最近推しの造形の良さに狂い出してからはアクスタ類が欲しすぎて叫び出しそうになっている。

 

そしてこの前、「自分でぬいが作れるよ!」って謳い文句してる手芸グッズが販売されてることを友達に教えてもらった。ぬいを作って人間辞めるか、ぬいを作らないで人間の外側を保つか迷っている。ぬい、作ってしまったらやばい気がしている。もう戻れない気がする。こわい。

もともと狂っているジャンルである刀剣乱舞もぬいが公式で販売されてるんだけど、それらは本当にそこまで欲しいと思ったことなくて、同じ推しなのにこうも違うんだな〜と不思議に思っている。私の場合は、刀の推しの姿をしたぬいをそばにおいても、あんまりそばにいる気持ちになれない。ゲーム画面開いた方が数倍そばにいる気持ちになる。そういうことかもしれない。どういうことだよ。

 

・オタクの自分語り

ポケモン剣盾で、ポプラおばあちゃんが「トレーナーは自分のために戦うべきだよ」みたいなこと言ってたよなとたまに思い出すんだけど、最近、全部このマインドじゃないと人間って生きてちゃいけないかもしれねえと思っている。クソデカ主語でごめん。

人間は他人のために生きられる生き物かもしれないけど、それは他人に依存して生きるということだと思うから、相手にも自分を必要としてもらわないと成り立たないと思う。それってかなり極端に言うと必要とされないと生きていけないってことなので、絶対どこかで心のバランスが崩れる時が来ると思う。だから誰かに許されないと生きていけない気がしてくるのかもしれない。ちゃんと自分の幸せのために生きられる人が最強かもしれない。誰かのために何かのために身を尽くして生きようという教訓はもう古いのかもしれない。だから最近自分を愛そうが流行っているのだろうか。何もわかんないよな。

私がちっさい頃から家族が入信してる宗教の教えでは、相手に尽くすとも見返りを求めないっていう精神が尊ばれたりしていたんだけど、これは、誰もが自分のことしか考えられないほど余裕がない世の中で説かれたから成立した美徳かもとおもった。今はそこまで自分の命しか守れねえ!みたいな時代ではないしね。自分を守りながら、自分以外も守れるような環境の基盤ができつつある今の世の中ってすげーなと思った。

でもそれはそうとして、正直、このためなら自分がどうなってもかまわねえ〜って対象は欲しくね?とも思う。自分の命を投げ捨ててでも守りたいと思えるもの、心酔できる対象が欲しすぎる。どういう心理なのかは分からんが、何らかのものをどこまでも信用して完全平伏したいという気持ちがある。今の私の場合は多分「推し」がそれに該当している。将来、万が一自分が家族を持ったときは、配偶者とか子どもがこれに該当することもあるのかもしれない。そんな存在がこの人生で現れるのだろうか。もう現れてるかもしれないが。自覚してないだけかもしれないが。